昭和27年に、下府所町は今宮神社の氏子町となり、昭和29年鹿沼市の合併の際に正式に府所町・府中町・府所本町の三カ町となった。
昭和60年に今宮神社例祭の当番長となり末広町から屋台を借りて行い無事大役を果たした。その際、屋台をともなう祭りの熱気に自治会全体が盛り上がり、若衆が「府所町に屋台を!」自治会に働きかけをかけ、昭和61年に屋台建造の計画を立て、若衆の青年部組織を発足し建造資金の積立を行うと共に自治会会費一口5000円の月掛け、町内有志の篤志寄付等により1500万円の目標予算を立て、町内の修一建設株式会社により建造し市制40周年を記念して同63年に完成した。